楽器が仕上がると、機会がある限り色々な人に弾いてもらって意見を聞き、次に向かってフィードバックができるよう心がけています。
楽器を作るという作業はひとりでとことんまで突き詰められるので、自分の目がつい内へ内へと籠りがちで、時々外の風を入れてリフレッシュすることも大事と思っているからです。
 
ただ、仕上がった楽器に対する自分の最初の印象が根本的に変わることはなくて、ここがもうひとつだな、と思うものはどれだけ褒められてもその印象は残るし、逆にいい手応えの楽器は弾き手が感じる問題点を指摘してくれれば、それはそれとしてフィードバックするけれど、極端にへこむようなことはない。
自分の中に評価の基準となる、こういう楽器を作りたい、というものが具体的にあるからだと思います。それは楽器作りとして貴重な財産だとも思います。
 
サヴィーニも楽器ができると、「満足して、反省して。それを同時にやって、前へ進め」と言っていた。
最近なんとなく、その意味が体でわかってきたかな、という気がしています。
 
新作楽器の写真はWorksに掲載しています。
  

ヴァイオリンという楽器は、寸法の違いが大きいと演奏に支障をきたすので、だいたいが同じようなサイズで作られ、大抵の人には一見どれも同じような「ヴァイオリンの形」に見える。でも実際には皆それぞれが作り手の個性を反映した顔だちで、表情も実に豊か。

細部の作りも顔だちの印象に大きく影響していて、パフリングと呼ばれる象嵌のツノ部分などは作り手の好みが存分に反映されるところ。

Poggiはこの先端部の黒い部分を伸ばすのが特徴的で、il baffo (口髭)と呼んでいた。Saviniはここが長すぎるとil baffo messicano!(メキシコ人の口髭!)と言って短めのbaffoが好みのようだった。

僕も15年くらい前まではメキシコ人の口髭が好きでしたが、最近は段々短めのヒゲが好みになってきています。

ぱっと見同じように見えるなかに、自分の好みの味を表現できるのは作っていて実に楽しい部分。

  

仕事場を整理していて懐かしいメモ書きを発掘。
2002年〜2005年ごろまでの師匠Giampaolo Saviniのことばの数々。
師匠の言うことを片っ端からメモしては自宅に帰ってから整理して大判のノートに清書していた。
そのノートは何度も読み直してボロボロになっていますが、肌身離さず持ち歩くのを見てSaviniはそのノートはお前の聖書みたいなものだな、と言っていたけどまさにその通り。未だにそこから製作のヒントが得られることがある。

SaviniもPoggiの工房に通っているころ同じようなことをやっていて、セロテープやゴムバンドで束にしないとバラバラになってしまうくらいボロボロになったノートが何冊もあった。夕方になると「シュウタロウ、今日はもう作業は終わりにしよう。グラスとワインを持ってこい」とローマ郊外のアパートの5階のテラスで、テヴェレ川に映える夕焼けを眺めつつそのボロボロのノートを開いてPoggiのことばや教えを肴にグラスを傾けつつ語らったのが懐かしい。