今年の連休はたくさんの方に楽器を見ていただく機会があり、実り多かったように思います。

インターネットやSNSが発達して様々な方法で発信できる世の中になったのは楽器製作者にとっても喜ばしいことですが、結局のところ楽器というのは、実物を見てもらって触ってもらって弾いてもらわないことには本質の半分もわからないもの。実際に弾いてもらえるありがたさを改めて感じることとなりました。

既に手元からは離れてしまっていますが、新作が仕上がりましたので写真をWorksにアップしています。

  

音楽業界の一切がストップしてしまった昨年に比べると、色々な動きを肌で感じることができた年だったと思います。たくさんの人の努力や行動力で世界は変わることができる。
良い楽器を作ることが小さくとも何かの力になると信じてやっていきたい。
師走に入って修理に追われて製作のペースが落ちていましたが、年明けからまた仕切り直して取り組んでいこうと思います。

本年もたくさんの方々のお世話になりました。
ありがとうございました。

 

  

師匠の工房、埼玉の重野バイオリンで作っているフィッティングパーツ。
最高級の将棋の駒材としても使われる御蔵島産のツゲ材を使用。無駄な装飾が一切なく、シンプルに素材の良さがひきたつ逸品で、とてもよい。
特に音質への影響が顕著なあご当てはお客さまにもすこぶる評判がよいです。金属パーツも職人がチタンを削り出して作っているので、在庫がない場合は取り寄せに時間がかかることもありますが、当工房でも取り寄せられます。

  
楽器が仕上がると、機会がある限り色々な人に弾いてもらって意見を聞き、次に向かってフィードバックができるよう心がけています。
楽器を作るという作業はひとりでとことんまで突き詰められるので、自分の目がつい内へ内へと籠りがちで、時々外の風を入れてリフレッシュすることも大事と思っているからです。
 
ただ、仕上がった楽器に対する自分の最初の印象が根本的に変わることはなくて、ここがもうひとつだな、と思うものはどれだけ褒められてもその印象は残るし、逆にいい手応えの楽器は弾き手が感じる問題点を指摘してくれれば、それはそれとしてフィードバックするけれど、極端にへこむようなことはない。
自分の中に評価の基準となる、こういう楽器を作りたい、というものが具体的にあるからだと思います。それは楽器作りとして貴重な財産だとも思います。
 
サヴィーニも楽器ができると、「満足して、反省して。それを同時にやって、前へ進め」と言っていた。
最近なんとなく、その意味が体でわかってきたかな、という気がしています。
 
新作楽器の写真はWorksに掲載しています。
  
モルゴーア・クァルテット小野富士さん

モルゴーア・クァルテットのヴィオリスト、小野富士さんに楽器をみていただき、お褒めの言葉を頂戴しました。嬉しい。
有意義な話もたくさん聞けて、実に充実した時間でした。

ヴィオリストとしても素晴らしいのは言うまでもないんですが、話がすごく上手で、淀みなく話されるのに口調が穏やかで押し付けがましくなく、話に自然と引き込まれる。
ほとんど全てのエピソードを○年○月○日に…」と年月日つきで話されるのにも驚いた。どういうインデックス能力なんだろう。すごく頭の良い方なんだと思いました。

おのふじさん、本当にありがとうございました。

412mmのヴィオラ、絶賛販売中です!

演奏動画はInstagramにて公開中

  

ヴァイオリンという楽器は、寸法の違いが大きいと演奏に支障をきたすので、だいたいが同じようなサイズで作られ、大抵の人には一見どれも同じような「ヴァイオリンの形」に見える。でも実際には皆それぞれが作り手の個性を反映した顔だちで、表情も実に豊か。

細部の作りも顔だちの印象に大きく影響していて、パフリングと呼ばれる象嵌のツノ部分などは作り手の好みが存分に反映されるところ。

Poggiはこの先端部の黒い部分を伸ばすのが特徴的で、il baffo (口髭)と呼んでいた。Saviniはここが長すぎるとil baffo messicano!(メキシコ人の口髭!)と言って短めのbaffoが好みのようだった。

僕も15年くらい前まではメキシコ人の口髭が好きでしたが、最近は段々短めのヒゲが好みになってきています。

ぱっと見同じように見えるなかに、自分の好みの味を表現できるのは作っていて実に楽しい部分。

  

名の通った、いわゆる銘器と呼ばれる類の楽器の修復をして板の厚さなどの計測をすると、現代の製作セオリーから大きくかけ離れた作りになっていることが少なくない。それで音が良いのだから「現代の製作セオリー」って何?と思ってしまう。

ここで言う製作のセオリーとは20世紀になって著名なストラド研究者などによって形作られ、広く流布している楽器作りのメソッドで、現代の製作家は大なり小なりこのメソッドの提唱する工法や寸法に影響を受けていると言っていいと思う。

こういうセオリーが広く知られることで、多くの人に楽器作りへの門戸が開かれたという意味は大きいと思うのですが、実際に楽器を作っているとそういう決まり事がいい楽器を作る上で必ずしも助けにならないという思いを抱くことが多々あります。

Poggiは工法上理由があってそのメソッドを無視している作り方をしている部分がいくつもあるのですが、セオリー通りになっていない、という理由で修理され、オリジナルが失われてしまっているケースが少なくない。それは残念なことです。

優れた製作家が良い楽器を作るために突き詰めていった手法が、その人なりのセオリーを形作るのであって、何故そうやって作るのか。という洞察や理解があってはじめてセオリーが意味のある道標になるんだと思います。表板は何ミリを基準とすべし、と示されると分かりやすいですが、数値や形だけの寸法表などにはあまり意味がない。

Saviniもよく「寸法をなぞるな。数値は数値でしかない。」とよく言っていました。ぱっと見不可思議な寸法や作りに見えても、そういう作りにこそ作り手の思いや経験の結晶が宿っているのではないか。

何故こうなってるのかわからないが、音はいい。という銘器の作りを見て、そんな風に思うのです。

  
アップが遅くなってしまいましたが、今月初めにヴィオラ完成しました。
ヴィオラはヴァイオリンと比べてサイズの幅がある楽器で、いくつかの型を使い分けていますが、この412mmというサイズは自分がイメージするヴィオラの音を一番再現しやすい気がしています。(残念ながら標準的な日本人の体格では持て余すことがあるギリギリの大きさかも、という感覚はあります)
豊かさと力強さを兼ね備えつつ、朗々と唄える良い音が出てます。
弾いてみたい方は是非ご連絡ください。
Worksに写真をアップしています。
  

久しぶりに作っていたヴィオラが白木の状態で仕上がりました。

最近作った楽器を見比べているとだいぶ自分の楽器の顔ができてきた気がします。

良い作り手の楽器は例外なくその作り手独特の楽器の顔があります。現代の製作家は過去の名匠の楽器をモデルに製作することが多いですが、Stradivariを意識して作ってもPoggiの楽器はオリジナリティあふれるものだし、そのPoggiを敬愛していた師匠Saviniの楽器もよく似てはいるけれど、Poggiとはまた違う顔があります。

Saviniがよく「大事な基本は全て教えた。これから先、お前はお前の道を行け」と言っていました。誰かの真似をするのではなくて、自分の楽器を作れ。という教え。

20年近くそういうスタンスで作ってきて、気づいたら自分の楽器の顔がなんとなく見えてきたかな、と最近思っています。